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広島地方裁判所 昭和38年(ワ)50号 判決 1973年3月26日

原告

吉田接雄

竹中勝治

右原告ら訴訟代理人

藤堂真二

神田昭二

被告

西村牧男

右訴訟代理人

伊藤仁

主文

被告は、原告吉田接雄に対し一、一三〇、三八〇円、原告竹中勝治に対し一五五万円及び右各金員に対する昭和三四年六月一〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告吉田接雄のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告吉田接雄と被告との間においてはこれを二分し、その一を同原告の、その余を被告の負担とし、原告竹中勝治と被告との間においては全部被告の負担とする。

事実

第一、当事者の申立

一、原告ら

被告は原告吉田に対し、二、七六二、四〇〇円及び内一、七六二、四〇〇円に対する昭和三四年六月一〇日から、内一〇〇万円に対する昭和四六年一月一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

被告は原告竹中に対し、一五五万円及びこれに対する昭和三四年六月一〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに右第一、二項につき仮執行の宣言

二、被告

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決

第二、請求原因

(火災による原告らの損害賠償請求)

一、原告吉田は広島県安佐郡安古市町大字古市字津戸ケ島一、七〇一番の一地上所在の木造瓦葺二階建居宅一棟建坪一六坪二合五勺外二階八坪七合五勺、付属木造平家建炊事場兼物置一棟建坪三坪(以下、原告吉田建物という。)に居住し、同所同番の五地上所在の木造瓦葺二階建居宅兼店舗延坪数約六〇坪(以下、原告竹中建物という。)の店舗中約7.5坪(以下、原告吉田店舗という。)を賃借して八百屋を営んでいたもの、原告竹中は同原告建物に居住するとともに、右建物において書籍、雑誌の販売並びに文具商を営んでいたものである。

被告は同所同番の四地上に居宅並びに精米及び製パン工場を所有し、精米及び製パン業を営んでいたものである。

そして、原告らの右各建物は被告の右製パン工場(以下、本件製パン工場という。)の南に隣接していた。

二、昭和三四年六月九日午前四時頃、原告らの右各建物は近隣一〇数棟とともに火災により全焼した。

右火災の原因は次のとおりである。

すなわち、同日午前一時頃本件製パン工場内の鋸屑自動パン焼炉から小火が起り、被告はその消火をしたが、その際の残火が付近に堆積していた鋸屑に引火し、次第に燃えひろがつて原告らの各建物に類焼し、本件火災に至つたものである。

三、右火災の発生につき、被告には次のとおりの重大な過失があつた。

すなわち、被告は右火災の七、八年前から本件製パン工場内に鋸屑を燃料として使用する鋸屑自動パン焼炉を設置し、製パン業を営んできたものであるが、前々から火の始末が悪くて度々小火を出し、近隣の者から再三にわたつて注意を受けていたうえ、パン焼炉という特殊の業務上の火器を使用し、燃料も鋸屑という引火性と火気保存性の強いものを常用していたのであるから、パン焼炉の残火がどの程度火種を温存するか、鋸屑がどれ程引火性があり火気を保存するか、これにどの程度水をかければ消火として十分であるかを特別の知識経験として知つていたものである。そして、本件火災当日午前一時頃の前記小火当時、右パン焼焼炉の周囲には前記のとおり極めて可燃性の強い鋸屑が堆積してあり、しかも、右製パン工場はいわゆるバラック造で、右パン焼炉に接して板壁があり、かつ同工場に隣接して原告らの各建物を含む木造建物が密集していたのであるから、右小火の消火に当つた被告として、付近に水を撒いて完全に消火し、鋸屑を除去するはもちろん、消火後暫くして再度点検するなど万全の措置を講じて火災の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、一応の撒水をしたのみで右鋸屑をその場に放置し、残火を看過したまま漫然就寝したため、同日午前四時頃残火が右鋸屑に引火し、遂に本件火災に至つたのである。

被告は右のとおり重大な過失により右火災を発生させたのであるから、民法七〇九条、「失火ノ責任ニ関スル法律」の規定により、右火災によつて原告らの蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

四、仮に被告に重大な過失がないとしても、火を失して火災に至らしめたものは、出火を知るや直ちに類焼の危険のある原告ら近隣の者にこれを知らせるべき義務があるのに、被告は故意に右義務に違背して出火の事実を原告らに知らせず、自宅の家財道具の搬出にのみ専念しした。被告の右不作為による不法行為によつて、原告らは手の施しようがなくなるまで火災に気付かず、それがため一物も搬出することができなかつた。被告が出火を知ると同時にこの事実を原告らに知らせていたならば、原告らは被害物品の概ね七割の焼失を免れ得たものである。したがつて、被告は民法七〇九条により右火災によつて原告らの蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

五、右火災により、原告吉田は同原告建物及び店舗に保管中の合計一、七六二、四〇〇円相当の商品(野菜類など)、身廻品、子供用品、家財道具、衣類を焼失し、原告竹中は同原告建物に保管中の合計一五五万円相当の書籍雑誌類、学習参考書類、文具事務用品を焼失し、それぞれ右各金額の損害を蒙つた。

(名誉毀損による原告吉田の慰藉料請求)

六、被告は昭和三四年七月三一日被告方において、春木高次ら数名の面前で、原告吉田の妻吉田かつ子に対し「火元はお前方だ。お前方の炊事場から火がごうといつて吹いて出たのを見た。」と高言し、原告吉田の名誉を著しく毀損した。そのため、同原告は甚大な精神的苦痛を受けたので、被告は同原告に対し慰謝料を支払う義務がある。

しかして、被告は検察官の取調に対しても、自己の失火責任を否認し、火元を原告吉田方であると主張し、刑事責任を同原告に帰せしめようとし、さらに、自らは本件火災後取得した多額の保険金により、いちはやく新国道沿いに土地を買入れ、新工場と住居を建築して盛大な披露を行つていながら、同原告ら近隣罹災者に対してはなんら償うところがなかつたばかりでなく、現在に至るも同原告に全く口を利かず、右名誉毀損行為に対しなんら謝罪もしない。これらの諸点を考慮すると、同原告の精神的苦痛に対する慰謝料は一〇〇万円が相当である。

七、よつて、原告らは被告に対し、次の金員の支払を求める。

(一)  原告吉田

右五、六の損害合計二、七六二、四〇〇円及び内一、七六二、四〇〇円に対する本件火災発生日の翌日である昭和三四年六月一〇日から、内一〇〇万円に対する右名誉毀損行為の後である昭和四六年一月一日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金

(二)  原告竹中

右五の損害一五五万円及びこれに対する前同様の昭和三四年六月一〇日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金

第三  請求原因に対する答弁並びに抗弁

一、答弁

請求原因一の事実は認める。

同二の事実中、原告ら主張の日時頃原告らの各建物が近隣一〇数棟とともに火災により全焼したこと、原告ら主張の日時頃本件製パン工場内の鋸屑自動パン焼炉から小火が起り、被告がその消火に当つたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同三ないし五の事実は否認する。

同六の事実中、被告が原告吉田主張の日被告方において、春木高次ら数名の面前で、同原告の妻吉田かつ子に対し同原告主張の内容のことを言つたことは認めるが、その余の事実は否認する。

二、抗弁

仮に被告に損害賠償責任があるとしても、原告らは本件火災の当日右火災の加害者及び損害を知り、また、原告吉田は同原告主張にかかかる被告の名誉毀損行為の当日右行為の加害者及び損害を知つたものであり、本訴提起の昭和三八年二月四日には右各当日からすでに三年を経過しているので、原告らの損害賠償請求権はいずれも時効によつて消滅した。

そこで、被告は昭和四六年九月六日の本件口頭弁論期日において右時効を援用する旨の意思表示をした。

第四、抗弁に対する答弁並びに再抗弁

一、答弁

抗弁事実は認める。

二、再抗弁

(一)  原告らは本件火災による損害(財産的損害)賠償請求権を保全するため、昭和三五年二月一六日広島地方裁判所に対し、原告らを債権者、被告を債務者とする不動産仮差押命令をそれぞれ申請(同裁判所同年(ヨ)第六一号、六二号事件)し、同月一七日被告所有の不動産につき申請どおりの仮差押決定を得ているから、被告主張の消滅時効は右仮差押命令申請の時に中断された。

(二)  被告の名誉毀損による原告吉田の慰謝料請求権の消滅時効も、同原告の右火災による損害賠償請求権と同様右仮差押決定により、その申請の時に中断されたものである。

第五、再抗弁に対する答弁

再抗弁(一)の事実は認めるが、同(二)の主張は争う。

第六、証拠<略>

理由

第一、火災による原告らの損害賠償請求について

一、請求原因一の事実及び昭和三四年六月九日午前四時頃原告らの各建物が近隣一〇数棟とともに火災により全焼したことは、当事者間に争いがない。

二、そこで、右火災の原因につき検討するに、同日午前一時頃本件製パン工場内の鋸屑自動パン焼炉から小火が起り、被告がその消火に当つたことは当事者間に争いがなく、この事実に<証拠>を総合すると、右消火の際、被告は右パン焼炉上から焼毀していた木製パン箱二個及び焼け焦げた屑パンを土間にかき落したところ、右パン箱及び屑パンの炭化した部分の残火が付近に散乱していた鋸屑に引火し、堆積していた他の鋸屑に焦燻して行き、これが遂に右パン焼炉北側の地伏木に燃え移り、次第に燃えひろがつて本件製パン工場から原告らの各建物に類焼し、本件火災に至つたものであることが認められ、<証拠判断略>。

三、次に、右火災の発生につき被告に重大な過失があつたかどうかを検討する。

前掲各証拠を総合すると、(1)被告は昭和二六年以降「桜陽製パン工場」と称し、本件製パン工場(木造セメント瓦葺平家建建坪二五坪)の北側壁に接近して鋸屑自動パン焼炉一基、電気パン焼炉一基を据えつけ、製パン業を営んできたこと、(2)右鋸屑自動パン焼炉は高さ一三六cm(高さ五七cmの四本脚部分を含む。)、縦一五七cm、横一四四cmの大きさで、もつぱら鋸屑を燃料として使用し、ことに被告方工場においては、毎日終業に際し翌日使用する鋸屑を右パン焼炉の余熱を利用して乾燥させるため、右パン焼炉の下に堆積させておく慣わしであつたこと、(3)本件火災発生の前日は、被告方の従業員で製パン工の松山兼男が右パン焼炉を使用してパン焼業務に従事し、同日午後七時頃終業したが、その際、同人は右慣わしに従い、翌日燃料として使用する多量の鋸屑を右パン焼炉の下部とその周辺に置き、さらに、右パン焼炉の上部に取りつけてある鉄製アングルの上には余熱によつて屑パンを乾燥させるため、屑パンを入れた木製パン箱二個を置いたこと、(4)被告は翌日午前一時頃外出先から帰宅した際、右パン焼炉上の右パン箱二個が発火して燃え上つているのを発見し、直ちに妻及び従業員湯浅義信とともに消火に当り、ほとんど焼毀していた右パン箱二個と焼け焦げた屑パンを右パン焼炉上から土間に急いでかき落し、これに風呂場から汲んできた水をかけ、右パン焼炉の煙突が接している部分の天井が燻つていたため、ここにも水をかけ、さらに、右天井の上部屋根裏に上つて異状のないことを確認し、消えて炭となつた右パン箱と屑パンは被告の妻がかき集めてリンゴ箱に入れ、他所に片付けたので、完全に消火したものと考え、約一〇分間で消火作業を終り、そろつて就寝したこと、(5)右消火当時、燃料用鋸屑が右パン焼炉の下部だけでなく、同炉の周辺及び同炉の西側に並んで設置されている電気パン焼炉の下部にまで散乱し、北側壁の垂木用角材、地伏木(右壁には耐火用テックスが張られていたが、その下部には右のような木材部分があつた。)に接着しており、鋸屑自動パン焼炉下部以外の鋸屑は同炉下部のそれに比較し、入替えのなされないまま放置されていたため、特に乾燥していたこと、(6)被告は製パン作業を従業員に任せ、自らは製品の販売などの業務に従事していたが、時として製パン作業を手伝うこともあり、平素は右作業の終了後就寝前に必ず本件製パン工場内の火の点検をしていたのであるが、本件火災前日は午後七時頃外出したため右点検をしなかつたこと、(7)鋸屑は引火性と火気保存性が強く、水をかけてもなかなか消火しにくいものであり、被告も鋸屑のこのような性質についてかなりの程度の知識経験を有していたものと推認されること、(8)右製パン工場の周囲には原告らの各建物をはじめ木造の建物が密集し、ガソリン、プロパンガスの各販売店も存在し、かつ、被告は従前より数回にわたつて右製パン工場から小火を出し、火の不始末につき近隣の者から注意を受けたことがあること、(9)しかるに、本件火災当日午前一時頃の前記消火に際し、被告は鋸屑自動パン焼炉の下部、その周辺及び電気パン焼炉下部に前記のごとく散乱していた鋸屑の上に前記パン箱、パン屑の炭化した部分の残火が落ちていないかどうか点検せず、これらの鋸屑に水を撒くこともせず、前記のごとく僅か約一〇分間で右消火作業を終え、就寝してしまつたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実に前記二認定の事実を合せ考えると、本件火災の発生につき、被告には、前記鋸屑の上に前記パン箱、パン屑の炭化した部分の残火が落ちていないかどうかを慎重に確め、その付近に水を撒いて完全に消火し、さらに右鋸屑を除去するなど万全の措置を講じて火災の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、右鋸屑の上に右パン箱、パン屑の炭化した部分の残火が落ちているのを看過し、漫然就寝した過失があるものということができる。そして、前認定の(1)ないし(9)の事実を総合して判断すると、被告としては僅かの注意を払えば、右のような消火方法の不完全さから火災を招く危険を予知し、未然にこれを防止する措置をとることが容易だつたということができるから、被告には本件火災の発生につき重大な過失があつたものといわざるを得ない。

したがつて、被告は民法七〇九条、「失火ノ責任ニ関スル法律」の規定により、原告らが右火災によつて蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

四、被告の抗弁につき検討する。

抗弁事実(ただし、名誉毀損による原告吉田の慰謝料請求に関する部分を除く。)及び再抗弁(一)の事実は当事者間に争いがなく、右事実によれば、被告主張の消滅時効は原告らの得た各仮差押決定により、その申請の時に中断されたことが明らかであるから、被告の抗弁は理由がない。

五、原告らが本件火災によつて蒙つた損害につき検討する。

<証拠>によれば、原告吉田は右火災により、同原告建物及び店舗に保管中の合計一、一三〇、三八〇円相当の商品(野菜類など)、身廻品、子供用品、家財道具、衣類を焼失し、同額の損害を蒙つたことが認められる。もつとも、<証拠>によれば、右火災により、原告吉田建物に保管されていた同原告の妻吉田かつ子の身廻品、衣類(合計五八二、一六〇円相当)が焼失したことが認められるが、右損害をもつて原告吉田の損害と認めることは相当でない。

次に、<証拠>によれば、原告竹中は右火災により、同原告建物に保管中の合計一五五万円相当の書籍雑誌類、学習参考書類、文具事務用品を焼失し、同額の損害を蒙つたことが認められる。

第二、名誉毀損による原告吉田の慰謝料請求について

一、被告が昭和三四年七月三一日被告方において、春木高次ら数名の面前で、原告吉田の妻吉田かつ子に対し「火元はお前方だ。お前方の炊事場から火がごうといつて吹いて出たのを見た。」と言つたことは当事者間に争いがない。

右事実によれば、被告は原告吉田の名誉を毀損したものというべく、これによつて同原告の受けた精神的苦痛に対し慰謝料を支払う義務がある。

二、そこで、被告の抗弁につき検討する。

抗弁事実(ただし、火災による原告らの損害賠償請求に関する部分を除く。)は当事者間に争いがない。

原告吉田は右名誉毀損による同原告の慰謝料請求権の消滅時効も、同原告の前記仮差押決定により、その申請の時に中断されたと主張する。しかしながら、右仮差押決定は本件火災による同原告の損害賠償請求権を被保全権利とするものであつて、右名誉毀損による同原告の慰謝料請求権は被保全権利となつていないことが明らかであり、かつ右各請求権は権利関係を異にするから、右仮差押決定により後者の請求権の消滅時効が中断されたものと解することはできない。したがつて、同原告の右主張は採用できない。

してみると、被告の抗弁は理由があり、右名誉毀損による同原告の慰謝料請求権は本訴の提起前に時効により消滅したものというべきであるから、同原告の慰謝料請求はその余の点につき判断するまでもなく、失当として棄却を免れない。

第三、そうすると、被告は、本件火災による損害賠償として、原告吉田に対し一、一三〇、三八〇円、原告竹中に対し一五五万円及び右各金員に対する右火災発生日の翌日である昭和三四年六月一〇日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があることとなる。

よつて、原告吉田の本訴請求を右の限度で正当として認容し、その余の請求を失当として棄却し、原告竹中の本訴請求をすべて正当として認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を適用し、なお、原告らの仮執行宣言の申立は相当でないから、これを却下することとし、主文のとおり判決する。

(川口春利)

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